第八十六番札所 補陀洛山 清浄光院 志度寺 -2




 室町時代には四国管領細川氏の庇護を受けて発展しましたが、戦国時代に兵火遭い焼失、現存する本堂及び仁王門は寛文10年(1671年)に高松藩主松平頼重が寄進したもので、本尊とともに重要文化財に指定されています。

 仁王門に納められている金剛力士像は、鎌倉時代の仏師運慶作とされ、東大寺の仁王像の習作と言われています。

 境内の片隅には海女の墓と言われる石塔が約20基並んでいます。房前が母の供養の為に建立した千基のうちの一部と言われています。縁起にも語られる「海女の玉取り伝説」は謡曲「海士(あま)」の基になっています。藤原不比等は、亡き父鎌足を供養しようと奈良に興福寺建立を発願しましたが、唐から贈られた宝珠を志度の沖で竜神に奪われてしまいます。宝珠を取り戻そうと志度を訪れた不比等はこの地で海女と恋に落ち、房前という男児を授かります。事情を知った海女は、房前を跡継ぎにすることと引き換えに宝珠を取り戻しましたが命を落としてしまいました。不比等は宝珠を奈良に持ち帰り、興福寺本尊の釈迦如来の眉間に納めたといます。

 また江戸時代には、志度出身の平賀源内を長崎に遊学させるため、当時の志度寺住職が尽力したといいます。


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